自分に語りかける言葉
自分に語りかける言葉
昨日偶然若松英輔さんのVoicyを見つけた。そのなかの1つに「言葉を身につけるなら、苦しいとき、悲しいときに自分にむかって語りかけることができる、そんな言葉を」というのがあった。
ぜひ、若松さんの語りを直接聞いてみてください。
→若松英輔さんのVoicy
それを聞いていて、はっとした。
人は自分で苦しいと思ってなくても苦しいし、
悲しいと思ってなくても悲しいものです。
たとえば、これまで生きて来て受け入れ難い自分、好きになれない自分や、都合の悪い自分だと思う自分を修正しよう、修正しようとして、本当にはそうした自分とつながっていないということは、誰にでも起こることだと思います。だから、苦しい自分や悲しい自分は、私たちに寄り添われないままいつも私たちと一緒にいるのかもしれません。
そんな苦しさや悲しみを感じるときに
自分に向かって語りかける言葉。
その言葉について若松さんは、
苦しい自分や悲しい自分に語りかける言葉は
自分に嘘をついてもしょうがない。
自分のご機嫌をとってもしょうがない。
いたずらに励ましても意味がない。
誰かが言った言葉を
自分の言葉のように語っても意味がない。
本当に自分の深いところから
出た言葉だけが自分に届く。
自分を励ます言葉ではなく、
自分に寄り添える言葉。
誰も見ていないところで
懸命に生きている自分に捧げる言葉…
だとおっしゃっています。
そんなふうにして自分に捧げる言葉を
探してきたことがあっただろうか。
昨日からずっとその言葉を
探していますが、見つかりません。
ただ、ふるさとの棚田を
上空から撮影した動画を見たときに、
言葉ではないけれど、
近い感じがしました。
花のそばに座ろう
人は、苦しかったり、
悲しかったり、
孤独だったりする自分を
心の奥にしまって
毎日を生きている。
本当の
わたしの苦しみや
わたしの悲しみや、
わたしの孤独は
誰にもわからないし
誰も知らない。
そうやって何気ない毎日は
成り立っている。
誰にも知られないわたしを
励ますでもなく、憂うでもなく、
ただ花のそばに座らせよう。
どんな花のそばがいいだろう。
どんな花と共に時間を過ごすだろう。
苦しいとき、悲しいときに自分にむかって語りかける
苦しいとき、悲しいときに
自分に向かって語りかける言葉を探すのは、
その苦しさに寄り添い、
その悲しみに寄り添うことでしか
見つからないと思います。
それは自ずと苦しい作業になるかもしれませんが、
それは自分のたましいの声を聴く行為なんだと思います。
なぜなら、苦しい自分や悲しい自分をも
つまり、まるごと自分を愛する行為だから。
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