傷を負った癒し手とフラワーエッセンス(4):「傷を負った者」と「癒し手」の両方を生きる
傷を負った癒し手とフラワーエッセンス(4):「傷を負った者」と「癒し手」の両方を生きる
傷を負った癒し手とフラワーエッセンス(1):エドワード・バッチ医師の命日が近づいて
傷を負った癒し手とフラワーエッセンス(2):神話の中のキロン
傷を負った癒し手とフラワーエッセンス(3):不治の傷・・・からの続きです。
神話の中の「傷を負った癒し手」
キロンは、神でありながら下半身は馬の姿をしています。
一方で他のケンタウロスたちとは違って英雄たちに医術や音楽を教える存在です。
彼は動物的なものと神的なものの両方を生まれながらにもっています。
そして、彼は英雄たちに医術を教える神でありながら、
自ら癒えることのな傷を負い、その傷に苦しみます。
ついには、神であるがゆえの不死をプロメテウスに譲って自ら死を選びます。
「傷を負った者」と「癒し手」の両方を生きる
ですから、キロンが僕らに見せてくれる癒し手の姿は、
完全無欠の健康な神(癒し手)が傷を負った弱い者を治療するという形ではなくて、
自ら「傷を負った者」と「癒し手」の両方を生きて、
癒しがたい傷の痛みや苦しみを
傷を負った者と共有することのできる癒し手の姿です。
なかば人間なかば野獣の姿をしたこの神は、自分の傷に永遠に苦しみ、その傷をになって冥界に降りてゆくのである。したがって、この神話物語に述べられた根源の医師、明るい医神の前段階にして先駆者の医師が、後世のために具現化した根源の学問は、あたかも治療を行う者が永遠にその苦しみを共有する傷の知識にほかならなかったような印象がある。(*1)
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*1:カール・ケレーニイ, 岡田泰之訳 『医神アスクレピオス』 白水社 1997, p.140
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