傷を負った癒し手とフラワーエッセンス

2024年6月2日

傷を負った癒し手とフラワーエッセンス

エドワード・バッチ医師は自分自身が病んだことを契機にたましいの声に耳を傾け、

フラワーエッセンスを生み出す偉大な癒し手となりました。

彼は、31歳のとき大量出血を起こして倒れ、

癌で余命3ヶ月という宣告を受けます。

彼が下した決断は、残された日々を魂の声にしたがって

研究に捧げることでした。

すると身体は徐々に回復し、数ヶ月後には健康になっていたといわれています。

その後19年をかけて38種のフラワーレメディーとフォーミュラを世に送り出しこの世を去りました。

ここからしばらく「傷を負った癒し手」とフラワーエッセンス、

そしてプラクティショナーについて考えてみたいと思います。

神話の知

生きるための深い知恵を学ぶ素材として、「神話」がある、と私は思っている。「神話」などというと古くさい、それにわけのわからぬお話がどうして現代に役にたつのだろうか。それは、人間存在のもっとも根源的なことにかかわることが、神話に語られているからである。(*1)

河合隼雄 『神話の心理学』 大和書房 2006, p.2

The Wounded Healer

ギリシャ神話に登場する半人半馬の種族ケンタウロスのキロン  Chiron(ケイローン Cheiron)は、「傷を負った癒し手」(The  Wounded Healer)の元型的イメージとして取り上げられることがよくあります。

ケンタウロス

キロンは半人半馬のケンタウロスですが、ケンタウロスの出生を調べてみると・・・

テッサリアの王イクシーオーンが女神ヘーラーに恋してヘーラーと交わろうとしたので、それを聞いた夫ゼウスが真相を知ろうとして雲をヘーラーの姿に似せてイクシーオーンのもとにやったのです。そして、イクシーオーンと「雲」の間に生まれたのが半人半馬のケンタウロスです。

アポロドーロス, 高津春繁訳 『ギリシア神話』 岩波書店, 1978, p.176

イクシーオーンは人間でありながら、最高神ゼウスの妻と交わろうとするという恐れ知らずですが、ゼウスからきっちり罰を受けていて

そしてヘーラーと交わったと誇っているイクシーオーンを車輪に縛りつけ、彼は空中に風によって引き廻され、かくてかかる罰を彼はうけている。

アポロドーロス, 高津春繁訳 『ギリシア神話』 岩波書店, 1978, p.176

このような出生をもつケンタウロスは、一般に野蛮で粗暴、好色で酒好きという性格のようです。

キロンの出生

ところが、キロンは例外でした。一般に野蛮で粗暴なケンタウロスですが、彼は思慮深く勇敢で心温かい賢者でした。

それは彼の出生が他のケンタウロスとは違っているからかもしれません。彼は、大地と農耕の神であり、一時期神々の王でもあったクロノスと樹木の女神ピリュラーの子どもで、クロノスが馬に姿を変えてピリュラーと交わったために、上半身が人間、下半身が⾺の姿になったといわれています。

だから、キロンは神の血を受け継いでいて不死です。まだ傷の話までいきませんが、キロン自体、物凄くの相矛盾する要素をあわせ持つ存在だと思いませんか?

一方で馬の下半身をもち、一方で神の血を引くキロン。他のケンタウロスとは出生も異なる存在のキロン。

僕らのこころの中にも、相反する気持ちや考えや感情が住んでいて、それを自分の中に収めていくのが難しかったり、他の人にくらべて自分だけが違っているように感じるところを自分の中に収めていくのが難しいことがあります。しかし、キロンはそれらを身をもって生きている存在です。

相矛盾する要素をあわせ持つキロン

ギリシャ神話に登場する半人半馬の種族ケンタウロスのキロン(ケイローン)は「傷を負った癒し手」(The Wounded Healer)の元型的イメージとして注目される存在です。

キロンは小惑星(彗星?)の名前でもあったり、射手座はキロンが弓を引く姿と言われていたりして、きっと(?)占星学的にも重要な存在だと思いますが、僕は占星学に疎いので、ここに書いていることは占星学的なことは考慮していません。

前の記事で見てきたように、神話の物語の中でのキロンの存在自体、物凄くの相矛盾する要素をあわせ持っていることがわかります。上半身が人間、下半身が⾺の姿というケンタウロスであること、一般に野蛮で粗暴なケンタウロスの中にあって、彼は神の血を引いていて思慮深く勇敢で心温かい賢者であること…。

キロンと英雄たち

キロンは音楽や医学、狩猟を学び、それらに長けていました。ペーリオン山麓の洞穴に住んでいましたが、その洞窟のある谷は薬草の豊かさで知られていて、彼はその薬草で病人を助けて暮らしました。彼はアスクレーピオスに医術を教えました。また、アキレウスの師傅(しふ:貴人の子を養育する役目の人)でもありました。ヘーラクレースなどの英雄たちに武術や馬術を教えたのもキロンです。

不治の傷

そのヘーラクレースが狂気によって自分の子どもを殺してしまい、その罪を償うための12の功業の4番目のときに、あるいきさつからヘーラクレースとケンタウロス族の争いになり、ヘーラクレースの射た矢がケンタウロスのエラトスの腕を突き抜けて、意図せずキロンの膝に刺さってしまいました。

彼のまわりに小さくなっているケンタウロスどもをヘーラクレースが射て一矢を放ったところが、エラトスの腕を射抜いてケイローンの膝にささった。ヘーラクレースは困って走りよって矢を引き抜き、ケイローンが手渡した薬を施した。しかし、傷が不治であったので、ケイローンは洞窟の中に引き籠り、そこで死にたいと思ったが不死であるためにそれができず、プロメーテウスが彼の代わりに不死となるべくゼウスに自らを提供したので、それでケイローンは死んだ。

アポロドーロス, 高津春繁訳 『ギリシア神話』 岩波書店, 1978, p.92

この矢にはヒュドラー(毒竜)の血が塗られていました。この毒は生物の全身の肉を腐らせて全ての生物の命を奪ってしまうという強力な毒で、神々でさえこの毒を防ぐことはできなかったのです。

神話の中の「傷を負った癒し手」

キロンは、神でありながら下半身は馬の姿をしています。

一方で他のケンタウロスたちとは違って英雄たちに医術や音楽を教える存在です。

彼は動物的なものと神的なものの両方を生まれながらにもっています。

そして、彼は英雄たちに医術を教える神でありながら

自ら癒えることのな傷を負い、その傷に苦しみます

ついには、神であるがゆえの不死をプロメテウスに譲って自ら死を選びます。

「傷を負った者」と「癒し手」の両方を生きる

ですから、キロンが僕らに見せてくれる癒し手の姿は、

完全無欠の健康な神(癒し手)が傷を負った弱い者を治療するという形ではなくて

自ら「傷を負った者」と「癒し手」の両方を生きて

癒しがたい傷の痛みや苦しみを

傷を負った者と共有することのできる癒し手の姿です。

なかば人間なかば野獣の姿をしたこの神は、自分の傷に永遠に苦しみ、その傷をになって冥界に降りてゆくのである。したがって、この神話物語に述べられた根源の医師、明るい医神の前段階にして先駆者の医師が、後世のために具現化した根源の学問は、あたかも治療を行う者が永遠にその苦しみを共有する傷の知識にほかならなかったような印象がある。

カール・ケレーニイ, 岡田泰之訳 『医神アスクレピオス』 白水社 1997, p.140

僕らの中のキロン

古代の神話に登場する偉大な癒し手は、完全で、病むことからもっとも遠いところに位置する神ではなくて、自ら癒しがたい傷とその痛みに向き合い続ける神であることに深い感銘を受けます。

神話というものが、僕らのこころの深ーい無意識の層、個人を超えてみんなが共有しているような無意識の深い層が生み出しているイメージだとすれば、キロンのような偉大な癒し手は僕らの中にも生きている、あるいは眠っている存在です。

傷に向き合う

自分自身の傷に向き合うことで僕らははじめて、他の人の傷の痛みやその人にとっての傷の意味にこころを開き、こころを寄せることができます。

でなかったら、癒し手は一段高い安全なところから自分の得意な理論で傷の原因をすべて理解してしまう、といったことが起こりかねません。これは本当に恐ろしいことです。

神話の物語の中で、キロンはそのことを身をもって、生き様をもって示してくれていると思うのです。

傷とたましい

傷つくところは人によって違います。同じ環境の中にいたからといって同じように傷つくとは限りません。現実的な意味ではなく神話的な意味では、傷は自分のたましいにとってもっとも尊いものとつながっていると思います。それが否定されたと感じるとき、人は傷を負います。

内なる癒し手

キロンのような偉大な癒し手は僕らの中にも住んでいます。その内なる癒し手が目覚めるのは誰かが完璧な理論で傷の原因を説明してくれるときではありません。傷の痛みやその人にとっての傷の意味にこころを開き、こころを寄せてくれる存在がいると実感できるときだと思います。

それは自分にとっても言えること。傷の原因を説明できることではなく、傷の痛みや、他の誰かではない私にとっての傷の意味にこころを開き、こころを寄せる自分がいることではないかと思います。

セントーリー

「傷を負った癒し手」のアーキタイプ的なイメージ…、個人を超えてみんながこころの深い層で共有しているようなイメージ…を直接象徴的に表しているというわけではありませんが、フラワーエッセンスの中にはキロンと関連の深い植物からつくられるものがあります。

それはセントーリ(セントーリー)、和名はベニバナセンブリです。

セントーリ(学名:Centaurium erythraea)の古い属名はChironia(キロニア)と呼ばれていていました。これはまさにギリシャ神話に登場するケンタウロスのキロンに由来しています。

神話にはいろいろなバリエーションがあるわけですが、キロンの負った傷はケンタウレイオン、あるいはキロニオンという植物で治癒したという説もあって、セントーリの古い属名のChironiaも、英語名のCentauryもどちらもキロンの傷を癒した植物というところから来ています。(*1)

キロンが支配する世界の半分には、ペリオン山麓がひろがるボイベイス湖があり、またかれの洞穴の下方には、薬草の豊かさで世に知られたペレトロニオンの渓谷があった。この谷でアスクレピオスは、キロンにゆだねられたのち、植物とその秘密の力に、さらには蛇にも慣れ親しんだ。ここには、どんな蛇の噛み傷も、それどころかキロン自身が苦しんだ毒矢の傷すら治したとされる、ケンタウレイオンまたはキロニオンという植物も生えていた。それとは逆に、キロンの傷は治らなかった、とみなす悲劇詩人の見解もあった。

カール・ケレーニイ, 岡田泰之訳,『医神アスクレピオス』白水社, 1997, p.140

*1:キロンの傷を癒した植物をブラックナップウィード(Centaurea nigra)とする説もあります。(J. アディソン、樋口康夫・生田省悟訳 『花を愉しむ辞典』八坂書房 2002)

参考文献
アポロドーロス, 高津春繁訳 『ギリシア神話』 岩波書店, 1978
カール・ケレーニイ, 岡田泰之訳 『医神アスクレピオス』 白水社, 1997


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