援助者の力と影
テレビドラマ「ヒーロー」の中の、九利生公平(木村拓哉)の、たましいのこもった、ちょーかっこいいセリフが印象に残っています。それは、被疑者を追い詰めて自殺に追い込んでしまった刑事に対して、九利生が発する言葉なのですが、
自分たちのような仕事は人の命を奪おうと思えば簡単に奪える。ちょっと気を緩めただけで人を殺すこともできるんだ、
というような内容だったと思います。これって力をもつことの光と影の普遍的なテーマですね。人の命を守る力をもつことは同時に人の命を奪ってしまう力をもつことでもあるという。
同じようなことが人を援助する人にもいえるんじゃないかなと思うのです。人(の癒し)を援助する立場に立つといことは、同時に人を傷つける危険にも直面する。あまり考えたくないことかもしれませんが、人を援助する立場に立つ人にとって避けることのできないテーマだと思うのです。
なんでこんなことを書くかというと、実は自分にもよくわからないのです。もしかしたら、僕が間違っていてフラワーエッセンスにとっては思っているほど重要ではないことなのかもしれません。もしかしたら、俺はこんなことわかってるんだぜ~とか言いたいだけかもしれません。そうであったとしても、どうしても書かなくちゃいけない感じがするのです。
援助職に従事する人による虐待がニュースになることがあります。怒りと悲しみが込み上げてくる一方で、いつも身の引き締まる思いがします。
もちろん個々のケースで事情は異なるでしょうが、それらはすべて特殊な人たちの特殊なケースで、まったくの他人事なのでしょうか。僕にはそうは思えなくて、自分の中にも、極端な形じゃなくてもっともっと微妙な形で、下手すると自分にもわからないような形で起こっていることがあるのではないかと、身の引き締まる思いがするのです。
たとえば、僕らはクライエントを理解し助けるはずの療法の理論とか、そういう専門性を、クライエントを守るよりも、自分自身を守るための武器として使ってしまったりする危険性を常にもっています。あるいは、そもそも傷を癒すために傷に近づくことは、その傷をさらに深くする危険を常にはらんでいます。
以前クライエントの方に、成功例についてはいろんなところで発表されたりするけれども、失敗例は公表されたり、研究されたりすることが少なすぎるのではないかと指摘されたことがあります。本当にその通りだと思います。
僕らはもっと自分のセッションの失敗や自分自身の影に光をあてていかないといけない。自分の中の悪をあぶり出したり、悪者捜しをするという意味ではなくて、影(自分の気づいていない自分)に光をあてて、それを援助したい人のためにより創造的につかっていくために。そして、それは一人で行うのは難しいので、そういうことができる小さなグループやコミュニティが少しずつでも増えていって、その間に交流がうまれたらいいなと思います。
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心理療法の光と影 ― 援助専門家の<力> ユング心理学選書 2<力> ユング心理学選書 2
ディスカッション
コメント一覧
私は心理職ですが、セッションの中で医療従事者や心理専門家と呼ばれる人から傷つけられたというストーリーをクライアント(被援助者)から聴き怒りを感じることがあります。なかには明らかに倫理違反だと思えることもあります。勿論クライアントからの一方的な情報だけで全てを判断することはできませんが、援助者によるアビューズがあることは確かです。
どうしても援助者の方が力を持たざるを得ない、そういった中でその力の行使が本当にクライアントのために使われているか否か、援助者は常に自覚的である必要があると思います。さらに、転移にしても、全ての原因をクライアントに帰さないという心構えを治療者が持っていることは大切なことだと思います。
困難な症例あるいは失敗したケースだからこそ、高原さんがおっしゃるように自分の中の影の部分、マイナスな感情に光を当てていくことが必要だと思います。そのためにも、コンサルテーションや仲間でのケースカンファレンス、自分自身のセラピーはとても大切だと私も思っています。
Kazumi Ohama さん、コメントありがとうございます。
本当にOhamaさんのおっしゃる通りケースカンファレンスでも、どんな形でもいいから、バディミーティングでも、グループスーパーヴィジョンでも、どんな形でもいいからフラワーエッセンスの作用だけではなくて、プラクティショナーとクライエントの関係のなかで起こっていることを意識化していくことを、自分のまわりから、できるところから、少しずつ地道に始めていきたいですよね。そういうグループが一つずつ増えていくことを心から望んでいます。
>さらに、転移にしても、全ての原因をクライアントに帰さないという心構えを治療者が持っていることは大切なことだと思います。
本当にそう思います。転移は転移だけで起こるわけではなくて、逆転移とセットなわけですから、プラクティショナー側のことを抜きにして見るのはおかしいですよね。転移を個人の過去の経験に帰してしまうのも無理があるように思われる場合もあるし、そうした物語を固定してしまうこと自体クライエントの利益になるどころか、エネルギー的な貼り付けになる危険もあると思います。本当にそこには真摯に向き合い続けるしかないですよね。究極的には、もう本当にバッチ医師が言うとおり「汝、自らを癒せ」ということですね。
転移・逆転移でいうと、ここに書いたことは「癒し手」とか「救世主」のアーキタイプに関することですね。